ねえ、そのなき声はだれのもの?






机上に置かれた全く手の付けられていない料理に白龍は溜め息を吐いた。知らず眉間に刻まれる深い皺は何度目か。


白龍は静かに寝台へと近付き、そこに横たわる人物へと唇を開いた。


「アリババ殿」


シン、とした空気が揺れる中、アリババは緩慢な動作で白龍の方へと顔を向けた。その際両の手首に繋がれた細くも堅固な鎖がシャラリと音を立てる。


「何故、食事をしないのですか」


アリババは此処へ連れて来られた日から水分以外口にしようとしない。その水分すら最初に白龍が無理矢理取らせるまで一切を拒否していた。



…此処は白龍が育った地、煌帝国内に存在する白龍の住まう一室である。そこに在する寝台に、アリババは鎖で逃げられないよう繋がれていた。そもそもの始まりはシンドリアを発ち、アラジンやモルジアナ達と各々の目的のために別れたアリババが道中急に意識を奪われたことにあった。そうして気付いた時には馴染んだ剣も衣服も全て取り払われ、薄い布を重ねたような服に着替えさせられており、鎖で寝台に繋がれていた。堅固な鎖は何をしても取れず途方に暮れていた時に部屋の主である白龍が現れたのだ。説明を求めるアリババの声を無言で聞いていた彼は小さな謝罪と共にアリババを組み敷き、そのまま無理矢理アリババの身体を開いた。




「俺を、恨んでいますか」


俺を、憎んでいますか
仇の国の皇子として、彼は白龍を憎むことは無いと…そう決めたのだと言った。ならば皇子としてではなく、ただの白龍としてのこの所行についてはどうなのか。また微笑みながら許容するとでも言うのか。白龍はキリキリと痛む胸の内で苦くその時の事を思い出していた。初めて身体を繋げた日、アリババは混乱と痛みと悲しみから泣き叫んでいた。どうしてと繰り返し問いかけていた。白龍はそれに答える術など無く、ただただそんなアリババを寝台に押さえつけて衝動のままに貪った。



「アリババ殿…あなたにいくら憎まれようと、あなたを此処から出すつもりはありません」


例え間違っていようと、もう後戻りなんて出来ないのだ。俯き床をジッと睨む白龍に、アリババは表情を歪めた。


「お前を憎める訳ねーだろ」
「ッ、アリババ殿…」


アリババには白龍の考えなど何一つ分からない。分からないからこそ怖かった。けれど食事を摂らず日に日に弱っていく自分を心配する瞳に嘘偽りなんて見えなかったし、アリババを抱く最中すら泣いてしまいそうな表情でずっとこちらを見ているのだ。そんな相手を…増してや友達を憎める筈なんかない。


「なあ白龍…頼むからこんなことする理由を教えてくれ。もし一人で解決出来ないような問題なら、俺も一緒に考えるから」


一人じゃ何もできない。思い知った筈だ。
アリババは力の入らない腕を白龍に向けて伸ばす。けれど白龍はどこか暗い眼でそれを見るだけで微動だにしなかった。


「…言ったところで解決なんて出来ません」
「そんなの言ってみなきゃ、」
「分かりますよ」


分かりますと弱々しい声音がぽつりと落ちる。諦めと悲哀の入り混じった白龍の顔にアリババは何も言えなくなった。


「アリババ殿…あなたはきっといつか、俺では及ばない遠く高い場所へと上がっていかれるのでしょう」


ギシリと白龍の重みで寝台が鳴く。アリババを何かから隠すかのように全身で覆い被さってきた白龍は、辛そうに眉を寄せてアリババを見詰めた。



「愛していますアリババ殿。だから、どうか…」


どうか俺の許から離れて行かないで下さい。


ボロボロと崩れ流れていくものに白龍はキツく目を瞑った。自分の手が届き見える場所に居ないとそのまま消えてしまうのではないか…自分などでは到底たどり着けない所へと行ってしまうのではないか。白龍はそれが怖くて怖くて仕方が無かった。それならばと疲弊し入り乱れた思考のまま美しく強い金色の王子を捕らえ繋ぎ、どこにも行かないように閉じ込めた。どんなに批判され罵倒されようとも今、今この腕の中に彼が在るだけで白龍は幸せなのだと。キリキリと軋みを増す痛みを無視して白龍はアリババを自身の総てで以て掻き抱く。


「好き…好きなんですアリババ殿。お願いですから此処に居て下さい。俺があなたを守りますから」


少なくとも自国の煌帝国と真っ正面からやり合うよりもずっとアリババの身は安全だ。いずれシンドリアへと戻りアル・サーメンと戦うならば、煌帝国との衝突は免れないだろう。白龍は煌帝国を滅ぼし新たな大帝国を建国するつもりだが、それが間に合わない…またはその最中にもしアリババの身に何かがあれば…。アル・サーメンの面々はどうやらアリババのことを危険視し、奪えるならば命まで奪うつもりだ。そんなことは絶対に許さないしさせない。相手には第四皇子の立場からアリババが煌帝国内で大人しくしている内は決して手出しはしないと約束させた。そんな思惑も織り交ぜて煌帝国内の自身の居住区で囲っているのだ。アリババを繋ぐ鎖は彼を守るための檻であり薄汚れたただのエゴだ。白龍はそんなのことなど百も承知している。だからいくらアリババが暴れ泣き叫ぼうが此処から出すつもりなど微塵もない。



「アリババ殿…」


白い波の上に広がる金糸をゆるりと指でなぞりながら白龍は身体を傾けアリババに口付ける。何かに誓いを立てるように…何かに贖うかのように優しく唇を合わせる。アリババはそんな白龍を拒むでもなく、ただ一筋涙を零した。